メールの送り主は、日本IBMの最初の配属先の元所属長(課長相当)だった。あるお客様の担当者の後任を捜していて、うちの会社に転職は考えられないかという内容だ。元所属長は既に日本IBMを退職しており、ローカライズを事業とする関連会社で取締役をしていた。社長も元上司(部長相当)で、何名か知っている先輩もいた。正直、ローカライズには全く興味がなかったが、当時勤めていたベンチャー企業は会社そのものがいつまで続くかわからないし、自分のキャリアにどうつながるかも見えてなかったこともあり、直接お会いして話を伺うことにした。
おふたりとお会いするのは、日本IBMで最初に異動して以来だったので、約6年ぶりであった。会社の状況や方針を伺うことはできたが、具体的に自分がどういう仕事をするのかは、実は不明確なままであった。Web関連の案件にかかわれそうだというところまでわかったのだが、ローカライズ絡みの案件なので、いわゆるWebマスターとも違う。
しかし、何年もお会いしていなくて、今の自分の仕事ぶりを知っているわけでもないのに、かつての上司が自分のことを思い出し、声をかけてくれたのである。自分のことを必要としてくれる場所があるのなら、興味があるとかないとか関係ないのではないか。そう思うと、断る理由はなかった。年収が大幅にダウンするのもわかっていたが、交渉もせず、逆に自分の値段を付けてくれとお願いし、提示額をそのまま受け入れた。
2003年6月後半から外注扱いで実務に入り、7月に正式に入社をした。これが現在も勤めている会社である。
顔見知りの先輩が何名かいたということもあり、溶け込むのに時間はかからなかった。しかし、自分の担当業務が確定していないまま入社したということは、すぐにわかった。あるお客様の担当者の後任であることは確かだったが、その業務だけですべてが埋まるわけではなく、極論すると自分がいなくても業務自体は回るようだった。最初の配属先の所属長も、自分がどういう経緯で入社してきたかをあまり聞かされていなかったようで、何をするかが決まってない人をいきなり送り込まれ、しかも、高待遇だと映る面があったらしく、扱いに困っていたようだった。
Web案件もルーチンワークしかないのが実態で、自分ができることをしていくうちに、社内SEとして社内のITインフラを整備する仕事がメインになっていった。直前に勤めていたベンチャー企業と比べれば、いろんな体制や仕組みが整っていたとはいえ、ITインフラを担当している部門は、専任で面倒を見るまとめ役がおらず、20代半ばのふたりの若者が無秩序に仕事をこなしていた。コストダウンをしながらITインフラを整え、同時に秩序をもたらすのが仕事になっていき、後追いでITインフラを担当する部門に異動することになった。
一方、入社から半年も経てば、業界の構図や会社の実態も見えてきた。労働集約型の下請け産業そのものだと気付いたのだ。無の状態から何かを創造するのではなく、お客様が提供してくれた文章を、別の言語に置き換えていく。もちろん、その課程でさまざまな工夫やノウハウが必要だとはいえ、そこにあまり付加価値はなく、単純な価格競争に陥りやすい、典型的な下請け産業であった。付加価値が少ないわけだから、社員の給料は安く、会社が利益を出したとしても、それは安い人件費という犠牲の上で成り立つものだった。
Webの仕事とは程遠い、社内SEの仕事。そして、がんばっても給料が上がらない、労働集約型の下請け産業。一筋の光に見えた正体は、こういうことだった。自分なりの成長を感じられることはあっても、必ずしもそれが世間から必要とされているものというわけではなく、同期との差は開く一方。
そんなことを感じながら、あるお客様の案件にかかわったとき、心が壊れてしまった。会社で急に涙が溢れ出して止まらなくなり、自分でコントロールができない状態になってしまった。取締役である上司の勧めで、日本IBMの産業医に診てもらい、更にその先生に紹介された別の病院でも診てもらった結果、鬱と診断された。その直接的な原因となった案件から外してもらい、本来は担当外の先輩に引取ってもらった。その先輩には、仕事はきっちりできているし、周りと比べて劣っているとは思えないと言っていただいたが、自分に自信が持てない状態はずっと続いた。
その後は異動を伴いながら、社内ITインフラの責任者を兼務したまま、さまざまな業務にかかわった。管理職ではないのに、一緒に働く社員の採用や勤怠管理をしたり、ある決まった範囲での少額決裁権を与えられたので、よく管理職と勘違いされた。入社直後から従業員代表をしていることもあり、就業規則が改訂される度に改訂内容の説明を受け、労働基準法を意識する機会も多くなった。社長室の配属だったときは、人材派遣業に引っ張り出されたり、機械翻訳の実験を担当したり、時に社長の愚痴聞き役だったり、何をやっているのかよくわからない状態だった。
もちろん、どんな業務を担当することになっても、自分なりの目標を定め、少しでもモチベーションが持続するように努めたが、自分に自信を持てないまま、いたずらに年齢を重ねていった。初めての鬱を経験した後も、何度も鬱状態を経験した。土日もやる気が起こらず、日曜日の夜になってようやく何かをしようかという気になったり、ひどいときは金曜日の夜からまた月曜日がやってくるという恐怖に襲われ、土日が一番精神的に苦しかったこともあった。ほんの数ヶ月前まで、こんなことは日常茶飯事だった。会社では悟られないように笑顔を絶やさないようにしていた分、家では沈み込むことが多く、家族にはずいぶんと迷惑をかけたと思う。
こんな状態が長く続いたので、昔からの友達に会うことは避け続けた。ここ1-2年は、ようやく会ってみようと思えるようになったが、つい最近まで「今、(仕事は)何やってるの?」と聞かれるのが、最も辛かった。この質問をされる度、自信のない自分を再認識し、深く落ち込んだ。
しかし、2-3ヶ月前から、急に状況が変わった。
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