今日、すべての受験校の結果が出揃い、息子タイガの長い長い受験生活が完全に終わりました。
4校を延べ5回受験し、結果は合格3校、補欠合格(追記:2月7日に繰上げ合格)1校、不合格1校でした。不合格だったのは本命校の2回目の試験なので、事実上、4校全てから合格を勝ち取り、無事に本命校の入学が決まりました。これ以上の満足はないというくらい、上出来の結果です。
いろんなことがありましたが、これでようやくゆとりを持ってのんびりと過ごせる平穏な日々が戻ってきました。
きっかけは小2
そもそも、タイガが塾に通い始めたのは、小2で学童に行かなくなったのがきっかけでした。小1の9月までひとりで登校できず、毎朝、途中まで一緒に登校したり、小1の冬は暗くて怖いからひとりで家に入れず、お父さんかお母さんが帰ってこないかと駅の近くをうろうろしたり。小2になってからも、まだまだひとりで留守番させるには頼りない状態でした。
そんなときに、とある塾の理科実験教室に参加したところ、興味を持ちそのまま入塾。小2で塾なんてという思いもありましたが、週に一度、確実に大人がいる場所に預けられるという安心感もあり、我が家にとっては学童代わりのような存在でもありました。
突然の宣言は小3
それが小3のある日、突然に「うち、受験するから」と言い出しました。僕も妻もそんなつもりで塾に入れたわけじゃないし、当然、地元の公立中学校に進学するものと思っていたので、冗談半分くらいに受け止めていました。でも、タイガは本気でした。
まぁ、塾の上級生に刺激されたというのもありますが、通っていた公立小学校の授業と比べ、塾の授業の方が遥かに楽しいというのは大きな要因でした。これは、自分の経験からいっても、とてもよくわかります。僕自身は公立中学校に通い、中3で初めて塾に行きましたが、塾の方が遥かに手応えのある内容で知的好奇心を満たされるし、そこに集まる生徒も自分よりすごい連中ばかりで、しんどいなりに楽しい環境でした。塾に行き始めてからは、学校の授業はつまらないし、学校の先生に塾の宿題でわからないところを聞いても解けないので、学校は友達を作る場で塾は勉強をする場と割り切りました。それと同じ経験を、タイガは小3でしてしまったのです。いつか気付くこととはいえ、これには親としてかなりの葛藤がありました。
順調だった小4
しかし、そんな葛藤とは無関係に、時間は過ぎていきます。小4になる時点で、塾のクラスは受験コースと補習コースに別れます。もし、本当に受験をするなら、小4(実際には小3の2月)から小6の1学期までに受験用のカリキュラムを全て終え、小6の夏休み以降は総復習や志望校の過去問対策に時間を充てないと、受験本番に間に合いません。高校受験や大学受験と、全く同じ構図です。もし、補習コースを選んで、途中でやっぱり受験をしようと思っても、そこから追いつくのは不可能に近いです。僕も妻も、決して積極的というわけではありませんでしたが、受験コースを選びました。そして、ここから家族全員が受験のレールに乗ったのです。
小4は比較的順調でした。塾の模擬試験が始まり、初めてタイガが偏差値で格付けされましたが、4科で60前後をキープでき、なかなかやるじゃんと楽観視していました。特に国語はいい先生に出会えたということもあり、本人も絶対の自信を持っていました。
大スランプの小5
ところが、小5を目前にして、風向きが変わってきました。算数の授業を理解できないまま次の週を迎えるようになり、完全に追いつけなくなってしまいました。理科も苦手意識が出始め、それらは、偏差値にも如実に表れました。最も振るわなかった時は、算数は40、理科は39という低迷ぶりです。ただ、救いだったのは、国語は60台後半を安定して取れたこと。最も調子の良かった時は、75をたたき出し、全国で男子3位を取れたのには、親も本人もびっくりでした。
しかし、算数が取れないことには、どうにもなりません。この頃は、まだ受験をさせるべきかどうか、親としても決めかねていました。ただ、自分で言い出したことは、最後までやり通してほしかった。そこだけは揺るぎなかったので、何度かタイガと話をしました。これから社会人になるまで、中学受験以外にも何通りもの道があること。中学受験をしたとしても、何通りかの道があること。そして、それぞれどんな進路があるのか。また、受験当日まではまだまだ日数があり、そこにたどり着くまでの方法も人それぞれであること。今は塾が推奨するペースに追いついていないけど、自分のペースで最後に帳尻合わせができていれば問題ないこと。そして、自分で受験すると言い出したのなら、最後まで貫けと。そんな話を図を交えながら話しました。どこまで理解してもらえたかはわかりませんが、そのときに使った大学の勢力図に、タイガがNARUTOの忍者ランクに例えた注釈を書き加えた紙は、未だに部屋に貼られています。
さて、ここからが迷走です。算数は妻が探して来た個別指導の有名塾に切換え、メインの中堅塾は国語のみに減らしました。経済的な事情もあり、理科と社会は自習です。しかし、完全に裏目に出てしまいました。個別指導は週に一度で、時間も90分。入塾説明の時の先生が気に入って入塾を決めたのに、最初はアルバイトの先生。途中からプロの先生に変わりましたが、時間が足りなくてカリキュラムを消化できないから2コマを勧めると言い出しました。予習前提で授業を受けないと追いつけなかったのに、タイガは家でひとりで勉強するタイプじゃありません。その時点でミスマッチでした。それに加え、商業主義に染まり、コマ数を増やすことしか考えていない某有名塾。結果が出ないまま、無駄に時間は過ぎ、理科と社会もマズイことに。妻の「やる気もないし、結果も出ないし、こんなんだったら私は塾代を出さないっ!」というキレ発言を何度聞かされたことか。。
好転し始めた小6
小6になり、環境を変えるのなら、ぎりぎりだというタイミングで、個別指導の有名塾は辞めることにしました。しかし、本気でタイガの志望校を目指すなら、メインの中堅塾も国語の先生以外は、やや不安。そこで、仲の良い友達も通っていた難関校狙いの某有名塾への切換えを検討し、無料体験の授業も受けさせましたが、肝心なタイガ本人が乗り気じゃありませんでした。タイガは、ずっと通い続けているメインの中堅塾の、家庭的でのんびりした感じが好きなんです。この時点で腹をくくりました。4科全部を、この塾に任せようと。既に、小6の5月後半でした。
しかし、この辺りから、少しずつ風向きが変わってきました。もちろん、すぐに結果が出たわけではありませんが、いろんなものが少しずつ好転し始めました。あやふやだった志望校も、何校も学校見学をしたことで家族全員が納得する本命校を見つけられ、ようやく目標が明確になりました。志望校選びに関しては、他の受験生と比べると、かなり遅かったように思います。
夏休み。2泊3日の修学旅行とお盆の週以外は、ほぼ毎日塾。宿題も大量に出され、影では泣きながらやっていたようです。でも、予定より早く中堅校の過去問を解き始め、国語は既に合格ラインの点数を取れる学校がいくつかありました。妻が見つけて来た個人経営の個別指導の先生がとてもよく、苦手の算数と理科は4日連続で集中特訓し、徐々に苦手意識も薄れていきました。そして、2学期からはメインの中堅塾の難関選抜コースに招待されることにもなりました。本当にぎりぎりのタイミングでした。
2学期。平日の通常授業に加え、土曜日は個人経営の個別指導で算数、日曜日は難関選抜コースか模擬試験。週に6日が塾になり、平日の帰宅時刻はいつも21時前後。夕食は家族揃って食べると決めていたので、毎晩21時を過ぎてからの食事。小6のタイガが、家族の中の誰よりも忙しい人になってしまいました。ただ、家にいる時はほとんど勉強せず、いつもパジャマ姿でくつろぎ、マンガを読んだり、こっそりTVを見てたりしてましたが。
この頃から、多少の浮き沈みはあるものの、教科による成績のばらつきが減ってきました。偏差値だけ見ると、本命校の合格ラインには微妙でしたが、過去問はかなり解けるようになっていました。
冬休み。冬期講習のピークは、1日12時間も塾の授業がありました。年末年始も休みは3日間だけ。1月2日の早朝から、正月特訓のために弁当を持って出かけていきました。
3学期。早い子は1月10日の週にはお試し校の受験を終え、合格を手にする友達が出始めました。そんなとこ受かるに決まってると高を括っていた学校でも、合格という実績は羨ましく、焦りにもつながったようです。
そして本番
1月23日。お試し校の受験のため、所沢まで親子で出かけてきました。算数で難しい問題があり、ちょっと自信を失いかけました。
1月26日。お試し校の合格発表の日。午後半休を取り、家族3人でMacの前に並び、ネットで結果を見ました。見事に合格できました。直前までダメかなと自信がなかったタイガも、急に自信を取り戻しました。
2月1日午前。いよいよ本命校の受験。過去5年分の過去問を2回ずつ解き、いずれも合格ラインに達していました。合格するために来たんだし、全く緊張しないと言い放って会場に消えていったタイガは、試験を終えて撃沈状態でした。算数で難しい問題が出て解けなかったけど、隣の奴は早々に解答を終え、余裕だったと。迎えに行ったお母さんの前では意気消沈していたくせに、家で待っていたお父さんの前では、たぶん大丈夫と強気の発言。(後に、隣の受験生は特待生で合格してたことが判明。)
2月1日午後。今度は抑え校の受験。楽勝のはずが、ここでも痛恨のミスをしました。算数の問題用紙の裏面を見ず、試験終了20分前からのんびりし、5分前に気付いて解き始めるも、4問が空欄のまま。国語は満点に近いと豪語するも、2科受験だったのでかなり痛くて、最悪、今日の両校は落としたかもと覚悟しました。妻は、合格か不合格かの結果が出てないのに、泣き始めてしまいました。
2月1日夜。午後受験の抑え校の合格発表。再び家族3人でMacの前に並び、ドキドキしながらネットで結果を見ました。無事に合格。タイガは合格した途端に「特待生?」などと天狗発言。でも、お試し校に続き、抑え校も合格を勝ち取り、心にすごい余裕ができました。タイガに「お父さんは(本命校の結果を)どう思う?」と聞かれ、自信を持って「あれだけ過去問を解いて合格ラインに達してたんだから、いつも通りの力を出せたのなら大丈夫だ。お父さんは全勝だと思ってる。」と言ってあげられました。
2月2日午前。本命校の2回目。前日の御三家受験組が抑え校として参入してくるため、一気に難化します。本命校なので、それを承知の上での挑戦です。試験を終えたタイガは、昨日よりも出来がいいと自信を持っていました。
2月2日午後。ついに、前日の本命校1回目の合格発表です。ネットではなく、直接、学校に見に行きました。合格を信じて、というか、確信に近いものを持った状態で、掲示板を見に行きました。結果は、見事に合格です。「な?」というのを確認したに過ぎないので、嬉しさ爆発というほどではないものの、やはりほっとしました。むしろ、これまでのことを振り返り、よくがんばったなぁと、そっちに涙が出ました。
このあとも、2回目の合格発表や、もう1校の受験があったのですが、事実上、2月2日の午後にタイガの中学受験は終わりました。こうして振り返ると、実に長い道のりでした。
これから
志望校は、偏差値もある程度の基準にしましたが、共学が絶対条件で、教育理念に共感できるか、そこに集う生徒が魅力的かという辺りを最優先で選んだので、これからの6年間は本当に楽しみです。もし、自分が中学生に戻れるとしたら、自分でも通ってみたい学校です。もちろん、僕はそれを手に入れるための努力をしなかったので、小学生の時から努力を積み重ね、タイガが自分で勝ち取った権利でもあります。同時に、自分のことを支えてくれた塾の先生や、共に刺激しあった友達への感謝を忘れず、これから新しい環境で、よい先生とよい友達に出会い、密度の濃い6年間を過ごしてほしいと思います。
おまけ
以下の学校を受験しました。(五十音順)
また、以下の学校の学校説明会や学校見学には行きましたが、受験しませんでした。(五十音順)
無事合格できて本当によかった。
大河にこのブログ読んでもらいました。
お父さん、泣いてないじゃん!だって。。。
大河なりにいろいろ思うところがあったみたいです。
それは別途メールで。
投稿情報: 妻 | 2011/02/05 23:12
タイガがお父さんの前で涙を見せないように、お父さんもタイガの前では涙を見せないのです。
父と息子って、そういうものなのさ。
投稿情報: まあ | 2011/02/06 01:28