高校3年生のときから通う大手予備校に、引き続き通った。勝手に師と仰いでいた数学の先生が、ライバルの予備校に引き抜かれたため、数学だけは掛け持ちで受講をした。英語と物理でも、それぞれ勝手に師と仰ぐよい先生に出会えたことは、幸運だった。
予備校では、中学のときに通った塾の仲間や中学のクラスメイトとも再会した。「イッセイは阪大の基礎工(学部に現役合格)だって」とか「ヨッシとツカサは京大(に現役合格)、シンドウさんは名大(に現役合格)、この前の京大模試に名前が載ってたのってあのムラタだよ」とか、情報は自然と耳に入ってくる。励みにもなるし、焦りにもつながった。
私立理系コースを選んだが、今思えば、その時点で失敗だったのかもしれない。首都圏だと早慶上智の志望者だけでいくらでもクラスを作れるんだろうが、広島だと国立信仰が強く、私立大学は滑り止めという意識があったので、実力がある人はみんな国立コースを選んでいた。そのため、私立理系コースは2クラスしかなく、上のクラスですら学力の差が大きかった。つまり、クラスとして成り立っていなかったのだと思う。
進学先として興味があったのは、音響工学、通信工学、経済学、政治学だった。経済学と政治学は極論すると大学じゃなくても学べるので、高校3年生のときに既に諦めていた。音響工学を独立した学科で持っている大学は九州芸術工科大学(現九州大学)しかなく、興味は非常にあったが、父があまりよい反応を示さなかったので、音響工学のゼミがある東京理科大学に再び着目。また、通信工学を独立した学科で持っている私立大学4校のうち、自分が行きたいと思えたのが早稲田大学と明治大学だった。
偏差値の表と自分の興味の度合いから、志望校は以下のようになった。
- 早稲田大学 理工学部 電子通信学科
- 東京理科大学 工学部 電気工学科
- 東京理科大学 理工学部 電気工学科
- 明治大学 理工学部 電子通信工学科
成績は高校時代よりは確実に伸びたのだが、A判定は取ったことがなく、いいときでもB判定だった。少なくとも、早稲田は最高でもC判定だったはず。早慶模試でもまるで歯が立たなかった。高校受験ほどがむしゃらではなかったが、自分なりに計画的に勉強したつもりだったので、自分の学力の限界を感じた。自分で壁を作っていたのかもしれないが、早慶の次元には到達できないという限界感だ。
入試直前に明治の過去問を見て、難しいと感じたときは、かなり焦った。入試日程は、理科大と滑り止めが先にあり、理科大は不合格。滑り止めしか合格していない状態で、明治の入試を迎えたが、この時ほどプレッシャーを感じたことはなかった。ここを落としたら、一生、自分で納得のいかない大学を背負って生きていくことになると。
幸い、最も不得意だった英語の問題が簡単だったのはラッキーだった。数学と物理は満点に近い手応えがあった。入試を終えた瞬間、これはもらったと思えた。その手応え通り、明治は合格だった。
その後、早稲田の入試があったが、やはりまったく手応えがなかった。物理なんて、見たこともない問題で、どこから手を付けていいかもわからないと言うくらい、どうにもならなかった。早稲田でしか必要なかった化学とか、ボロボロだった。完全に記念受験である。
こうして、明治大学に進学することとなった。正直、喜びではなく、安堵感の方が遥かに大きかった。許容範囲内の大学にどうにか引っかかってよかったという安堵感である。
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