14年前の今日(1995年3月20日)、ここ東京では地下鉄サリン事件が起こりました。この日だけは、一生忘れることがないであろう、非常に特別な日です。
当時、僕は社会人3年目を迎えようとしていました。3月20日は月曜日だったのですが、確か翌日が祝日だったため僕は休暇を取り、同じ会社の同期であり現在の妻でもあるアスカと19日から草津に1泊旅行に行きました。そして、翌20日に戻ってくると、新聞もTVニュースも地下鉄サリン事件で一色だったのです。
当時、僕は築地事業所に勤務していたので、休暇を取らずに出勤していれば、事件で騒然とした築地駅に降り立つはずでした。事件が起こったのは、出社時刻の9時よりもかなり早い時刻でしたし、電車自体も通勤とは反対方向だったので、サリンが散布された電車に乗ることはありませんでしたが、サリンの液体が床に残った電車が築地駅で停車したままだったり、サリンと知らずに撤去を試みた駅員が倒れて、結果的にサリンがホームにばらまかれたりと、築地駅にたどり着いたら二次災害に巻き込まれていた可能性は充分にありました。
出社せずに休暇を取り、いつもとは違う時間を過ごしたので、僕は偶然に助かりました。反面、いつもとは違う時間を過ごしたがために、事件に巻き込まれてしまった人もいたことでしょう。先のことを予測した訳ではなく、些細なことがきっかけでいつもと違う時間を過ごしただけなのに、それが生死を分けてしまったのです。
何か理由があって生かされたのだとしたら、自分に課せられた役割とは何だろうか。その答えは未だにわかりませんが、毎年、この日がくるたびに、命の尊さや運命について考えさせられます。
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