日本の心
昨日、式年遷宮記念せんぐう館を訪れた際、「これだ!」と目に留まった文章がありました。館内は撮影禁止だったので、どうしようか迷った挙句、書き写すことにしました。
未来へ
神宮式年遷宮は
持統天皇の御代から
今も継続されています
繰り返すことによって
限りあるものを
永遠なるものにするのです
その発想の源は
稲作を繰り返して来たこの国の
国柄にあるのかも知れません
時代と共に暮らしぶりは変わりますが
国の歩みと先祖の営みは
決して捨て去ることはできません
進化の一方で伝統を守る
そのような国がこれからの国際社会で
信頼を得るのではないでしょうか
途切れずに続くことの尊さ
いつも古くて新しい
それが新宮の姿です
それこそが日本の心なのです
気付き
数年前、テレビ東京で放送している和風総本家という番組に出会ってから、我々日本人は自分たちが生まれ育った日本のことをなんて知らないのだろうと気付き、日本の文化や風習に強く興味を持つようになりました。また、ここ数ヶ月は、池上彰さんの初心者向けの解説番組や解説本を通して、三大宗教の違いとそれらが生まれた背景や、日本に根付いた神道と仏教について深く知りたいと思うようになりました。
我々日本人にとっては、毎年、春夏秋冬を繰り返し、季節ごとの海と山の幸に恵まれ、きれいで豊富な水に囲まれて暮らすことは、ごく自然で当たり前のことです。豊かな自然の中で人は生かされており、季節も生命も水も、全てこの世の中で循環するという環境で、日本に住む人々は何千年もの歴史を積み重ねてきました。
この循環の発想は、日本の風土が生み出したものであり、日本の文化の根幹ではないかと、つい最近になって気付きました。その全てではないものの、見事なまでに表現してくれていたのが、式年遷宮記念せんぐう館の文章です。
異国の宗教であった仏教の輪廻転生の考えを受け入れたのも、歌舞伎役者や落語家が同じ名前を代々受け継ぐのも、すべて循環の発想が根底にあるからではないでしょうか。日本人の心に宿る、最も大切な魂とも言える考えが、循環ではないかと気付きました。
自分自身
10代から20代にかけては、自分自身に歴史がないため、日本の伝統を古臭く感じて嫌い、新しいものや欧米諸国の異文化に憧れて影響を受けることが多かったです。学校の授業でも、歴史には全く興味を持ちませんでした。
30代になってから米国に倣えという風潮に違和感を覚え始め、40代になってからもっと日本のことを知りたいと思うように変化しました。
10代の頃は、伝統を守るとは現状維持のように感じていました。しかし、自分の子供が生まれ、親として何を残してあげられるのだろうかと考えるようになってからは、祖父母や両親から受け継いだ何かを自分の子供に伝えることも伝統の一部であり、また、伝統とは本質は守りつつもその手段や表現は時代に合わせて変えながら継承することなのだと考えられるようになりました。
グローバリズム(=単一化)がもてはやされていますが、私は嫌いです。インターナショナリズム(=多様化を前提とした現地化)にすべきと考えています。グローバリズムへのアンチテーゼとして、私自身に「もっと日本を知ろうよ」と言い聞かせています。
最近のコメント