前回は、筆者がまだ統計的機械翻訳自体と少し距離があった頃のお話をしました。今回は、某I社が機械翻訳へと大きく舵取りをしたときのお話です。
ある日突然に
2010年8月初旬のこと。記録的な猛暑で、とにかく暑い日が続いていた頃です。社長秘書のNさんから電話があり、ミーティングをするから出席するようにと言われました。筆者は、3年余り社長直属の部署にいたため、かつては社長から直々に呼ばれて、いろんな話を聞く機会があったのですが、この頃は既に別の部署だったので、ひさしぶりに声がかかりました。
さて、ミーティング当日、用件も出席者も知らないまま会議室に行くと、不思議な組合せの顔ぶれが揃っていました。どうやら、誰一人、用件と出席者の事を聞いていないようです。そして、最後に社長が登場し、ミーティングは始まりました。
「これから、某I社は機械翻訳で行くぞ。」
細かいセリフまでは覚えていませんが、こんな趣旨の宣言がされ、ミーティングは進んでいきました。もちろん、社長の頭の中ではいろいろなことをずっと考え続け、他社との差別化を図るための決断のひとつということだと思いますが、ミーティングの用件を聞かないまま出席した筆者にとっては、某I社はついに機械翻訳の道に突き進むんだという、ちょっとした驚きがありました。
ただ、このときは統計的機械翻訳はどちらかというと脇役で、過去に実績のある従来どおりの機械翻訳を中心に考えていたようです。おまけに、筆者は機械翻訳の担当として呼び出されたわけではありませんでした。実は、針路変更に伴い、Webサイトのリニューアルをしたいということで、その担当者として呼び出されたのでした。ここでようやく話がつながりました。1週間前、別の部署のマネージャーであるOさんからWebサイトのリニューアルに関する相談があったのは、こういうことだったんだと。
情報がない
筆者は以前に勤めていた会社でWebマスターをしていた経験もあり、Webサイトの更新自体でわからないことはないのですが、結果的に原稿作成もほぼ全て担当することになり、そこでは苦労しました。もちろん、機械翻訳についても触れるわけですが、ほぼ経験のない統計的機械翻訳についても書き起こす必要がありました。5月に開催された社内研修に続き、8月下旬にお客様向けに行なった無料セミナーでも先輩Kさんの統計的機械翻訳に関する話が聞けたものの、頼りになる資料はこれだけでした。もちろん、Googleで統計的機械翻訳について調べましたが、日本語での情報がほとんどなく、あったとしても大学での研究者向けの難解な内容ばかりで、とにかく何について書かれているのか、さっぱり分かりませんでした。
どうにか9月初旬にリニューアルは完了し、その後も週に一度の更新を続けましたが、当初狙っていた「機械翻訳」というキーワードでの訪問者がほとんどいない日が続きました。Webサイトで機械翻訳についてあれこれ書いたところで、まだまだ一般的ではないため、肝心な利用してほしい人たちに届いていないのではないかという疑問が湧きました。筆者自身が統計的機械翻訳について情報収集したときも、そこから理解を深めるときも、とにかく苦労したので、それはこれから機械翻訳に関心を持つ人も同じだろうと思ったのです。
だったら、機械翻訳のことを自分なりのやさしい言葉で解説すれば、暗闇を照らす灯台のような存在となり、本当に利用してほしい人に何かが届くのではないかと思って執筆したのが「初心者にもわかる機械翻訳入門」です。中身はKさんにもレビューしてもらい、全7回分の原稿が用意できました。こうして、2010年10月初旬から11月中旬にかけて、連載として公開していきました。
ところが、その連載途中で、筆者はWebサイトの担当から外れることになりました。こういう知らせは、いつも突然です。しかし、次に控えていた仕事は、筆者にとっても大きな転換期と言えるものでした。
次回は異動です。
[注] この回顧録は、かつて勤めていた会社で書いた連載を復元したもので、某I社の現在の状況を反映している訳ではありません。